岸和田と日本の近代化を支えた、岸和田煉瓦「キシレン」

岸和田の粘土がレンガの製造に適していることを知った岸和田藩藩士、山岡尹方(ただかた)が士族の授産事業として、並松町の岸和田藩練兵場跡でレンガ製造を始めたのが1872年(明治5年)。岸和田煉瓦は日本のレンガ産業草創期の一社でした。
素材としての土、粘土の品質と石炭の強い火力で焼き締められた岸和田煉瓦は評判となり、明治から大正にかけての日本の近代化に無くてはならないものとして発展します。山岡がキリスト教信者だったため、出荷される岸和田煉瓦には「×(クロス)」の刻印が刻まれ、「キシレン」の名で親しまれるようになりました。

山岡と親交の深かった新島襄(岸和田城主、岡部長職との交際も有名)との縁で、同志社大学のレンガ建造物の大半は岸和田煉瓦の製品が採用されました。現存する同志社女子大学ジェームズ館は国指定登録有形文化財になっています。ほかにも国の重要文化財である旧山口県庁舎・県会議事堂や琵琶湖疏水、神戸異人館など各地の歴史的な重要建築物にキシレン、岸和田煉瓦が使われていることがわかっています。
岸和田煉瓦の成功は、その後の綿紡績工業の開発につながり、泉州湾岸部は岸和田を中心に一大工業地帯(東洋のマンチェスター)として発展して引き継がれていきます。岸和田煉瓦はその後、時代の要請とともに事業の形態をかえましたが、岸和田煉瓦が送り出した優秀なキシレンは、西日本、もしくは全国の文化財、鉄道のトンネルや橋脚などに今も使われ続けています。
岸和田市内に唯一、限られた数のキシレンが岸和田煉瓦の工場跡地に残されていました(当時の写真:一番上)。約30メートルのレンガ塀です。道路拡張によって取り壊される直前、これら貴重なキシレンを保存するため住民が立ち上がります。一旦取り壊されたキシレンは大切に補修され、2008年11月、市民グループであるレンガ塀再生プロジェクトチームと、土生中学校の生徒らの手によってモニュメントとして復元されています。
〒596-0052 大阪府岸和田市並松町25番17号
スパ・リゾートリバティ駐車場内
写真:岸和田市広報公聴課
●関連リンク
・「岸和田煉瓦『×』の刻印。まちしるべ」
ぶらぶら岸和田なんやこれ?
・「岸和田煉瓦にかかわる展示と講演会 開催」
岸和田ボランティアガイドの れ・き・し ぶら
●「岸和田市所有・市民提供の古写真からみる岸和田」岸和田市
【岸和田煉瓦(きしわだれんが)編】
※岸和田煉瓦の「煉」の文字は正式には「
」です。








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