岸和田煉瓦「×」の刻印。まちしるべ

岸和田煉瓦(きしれん)は岸和田の歴史を知るうえで、大変重要なキーワード。並松町のスパ・リゾートリバティ駐車場にこれを象徴するモニュメントが、昨年11月に市民グループであるレンガ掘再生プロジェクトチームと、土生中学校の生徒らの手によって設置されています。
この10円玉ぐらいのバッテンマーク、「×」。実はクロス、十字架なのですが、この刻印が大変気になります・・・(クリックで拡大)。
近代遺産なんて言葉で紹介される、赤レンガ倉庫や古い橋脚、トンネルなど、ご旅行先で赤レンガの建造物を見かけたら、一つの楽しみとしてバッテン「×」マークを探してください。もし同じような刻印が付いていたら、明治から大正にかけて岸和田の土で作られた、岸和田煉瓦のレンガということになります。これウソではありません。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------
同志社大学ジェームス館(国指定登録有形文化財)を代表として、身近なところでは神戸異人館や琵琶湖疎水の一部にも岸和田の土・・・岸和田煉瓦が使われています。そしてまだまだ、確認が進んでいないのですが、西日本(全国?)の近代遺産とも呼ばれる"赤レンガ"に岸和田煉瓦が潜んでいるものと考えられます。恐らく山陰鉄道のトンネルや、舞鶴の赤レンガ倉庫などもそうなのでしょう。
明治から大正にかけて、日本の近代殖産産業を支えたレンガづくりは埼玉県の日本煉瓦製造、堺市の大阪窯業、そして岸和田並松町の岸和田煉瓦の三社が主要とされ、そのなかで創業明治5年の岸和田煉瓦(旧藩士、山岡尹方の創業)が最も古かったようです。
泉州、とくに岸和田臨海部の地質はレンガ造りに最適でした。岸和田煉瓦は阪和線から浜側一帯の地面を掘削し、耐火性が高く丈夫とされた良質のレンガを生産。大阪窯業も下野町で原材料の土を確保しており、相当量の土がレンガに姿を変えて出荷されたことになります。
岸和田煉瓦には、レンガの平と呼ばれる最も面積の広い部分に「×」の刻印があり、100個に1個ぐらいの割合で刻印が付けられたといいます。ということは、バッテンマークがあるレンガを見つけたら、それは岸和田煉瓦のレンガであり、岸和田の土でできているものということになるわけです。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------
そんなお話を、レンガ塀再生プロジェクトチームの〆野さん(左)、江間さん(右)からうかがいました。岸和田市のまちしるべプロジェクト・・・地域のものがそこにある資源を学びあい、サインや地図(まちづくりサイン)などで伝えていく取り組みとして、先日、岸和田煉瓦のモニュメント横に案内看板が設置されました。池尻町の池田王子跡サインに続いて2例目のまちしるべです。
この岸和田煉瓦について、ぜひ多くのみなさんに知っていただき、岸和田煉瓦発見例をお教えいただけないものか・・・なんてなことを考えてしまいます。岸ぶらで全国の岸和田煉瓦発見事例をマップにできれば、大変面白いですねぇー。
岸和田煉瓦のモニュメント、土生中学との関わりなど保全活動の経緯については下記にくわしい記事がありますので、これらをご参照ください。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------
●関連リンク:
・「岸和田煉瓦~岸和田の風景(26)」コラムニスト宣言
・「岸和田煉瓦(岸煉)の保存を願う!! 」岸和田市本町のまちづくり
・「ジェームス館探訪」同志社女子大学
・「山陰鉄道時代の遺産」兵庫県教育委員会埋蔵文化財調査事務所
・「岸和田レンガの歴史保存に市民動く」きしわだの話題
・「岸和田煉瓦の塀の復元作業に中学生が参加」きしわだの話題
●関連エントリー:
・「市民が作る『まちしるべ』池田王子」
・「岸和田煉瓦にかかわる展示と講演会」
岸和田ボランティアガイドの れ・き・し ぶら








コメントする