旧四十三銀行からはじまる岸和田、紀州街道建築群
旧四十三銀行からはじまる紀州街道建築群。ここに惹かれる岸和田城下町。
わかりますかこれ?自転車留め。
今日のコミュニティーサイクルをはじめとした駐輪場と比較すると
考えられないほどの車両間隔の広さ。ゆとり。
設置された頃の時代背景、自転車が高価であった時代を感じます。
自転車留め、残念ながら現在は使われておりませんが。

紀州街道、らんかん橋を渡ったところから見える、旧四十三銀行。
花崗岩の重厚なイメージ、紡績で栄えた岸和田の名残。
青い看板、電線は正直気に入りませんが、残していただけていることがうれしい
そんな建築物です。旧四十三銀行(現 成協信用組合岸和田支店)。
【旧四十三銀行】
赤レンガ風タイルと花崗岩のツートンカラーによる独自の重厚感のある建築物は
大正8年(1919)に、旧 四十三銀行として建てられました。
現在も建築当時のまま活用されており、内部は柱が一本も無い吊天井。
正式な設計者は不明で、作風からして近代建築の巨匠、
辰野金吾氏ではという説もあります。
そう言われると、味わって鑑賞せねばなりません。
魚屋町、堺町、本町のおもしろ建築群、ここからスタート。
紀州街道、大正、昭和のお楽しみ。
【きしわだ自然資料館】
見落としがちですが、実はここも重要。
ファサードは寺田財閥、寺田銀行の面影を
残してくれています。
看板建築・・・という突っ込みはわかりますが
まあ、寺田銀行、想像してみましょうね。
二つのS字カーブをすぎると
本町の景観保全地区。
久住さんのお家が印象的。
ここは吉田松陰の来岸所。
【吉田松陰の来岸所】
嘉永6年(1853)2月、吉田松陰は岸和田藩校講習館の館長だった相馬九方をたずね、
塩屋平衛門宅(現久住家)に10日間滞在。
藩儒でもあった相馬九方ほか藩士と、火鉢にあたり番茶をすすり、煎餅をかじりつつ、
日本の将来について夜を徹して語り明かしたと伝えられています。
で、本町、紀州街道です。
久住さんのお家の写真を改めて
見直しながら、下記、ご一読。
カステラ切断された断面が
如実にものがったてくれます。
【本町のまちなみ】
大きな商家が軒を並べ、城下町経済の中心として栄えた本町。
参勤交代が通る折に二階から見下ろせないよう虫籠窓を小さく、
また、背後の岸和田城をうかがうことができないよう二階には窓がなく、屋根は傾斜しています。
岸和田市歴史的まちなみ保全事業として、地域の方々が主体的に保全活動を行っています。
とまあ、旧四十三銀行から紀州街道を和歌山側に歩くと
こういう建築物が目に付くわけです。知っているようで知らない事実。
でも、紹介したのはほんのチョッピリですよね。
S字カーブ(城下町の門の跡ですね)、急勾配のこなから坂、
まちづくりの館、小川のコロッケ、円成寺、光明寺・・・
他の町から来た人に、岸和田を正しく伝えたい。
そんな感じ、しませんか?
梅田に住む私ですが、一緒に勉強して伝え合いませんか?
ええもんいっぱいありますね、うらやましいですよ岸和田。








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